1945年の石油危機:国策に振り回された「石油戦士」たち “8月14日”の悲劇
カタン、カタンという音と共に、ゆっくりとポンピングユニットが動く。秋田市の八橋(やばせ)油田では、現在も小規模ながら原油や天然ガスが採掘されている。
一方で、41年時点の石油の国内自給率は1割足らず。最大の輸入相手だった米国が同年8月に対日禁輸に踏み切り、「石油切れ」が現実味を帯びてくる。そこで選ばれたのは、ボルネオやスマトラなどの油田を奪うという南進策だった。
政府は10月、石油各社から7000人近い技術要員を徴用し、掘削機なども拠出させた。12月に太平洋戦争が始まると、兵士と共にこの石油部隊が南方の油田に送り込まれた。八橋油田などを運営していた帝国石油の「五十年史」は、南方に「約7割の人員と機材を動員され」たと記す。
南方油田から日本への石油輸送が始まっていた42年6月、東条首相が八橋油田を訪問する。大勢の作業員を前に、占領下の油は将来の「大東亜共栄圏」で使うためで必ずしも多くはないと強調。その上で「油の需要は今後はより以上急速に増加し、いくらあっても足りない」「国内の産油は、とっておきの油」と熱弁を振るった。
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