映画の推し事:私の人生の物語 「さとこはいつも」を見て書かずにいられなかったこと
私はいつも、考え事をする時、首がめちゃくちゃ前に出る癖がある。スマホ世代の「恩恵」、ストレートネックだ。この「さとこはいつも」の記事を書いている現在も、頸椎(けいつい)への負担をめちゃくちゃ感じている。
「さとこはいつも」を鑑賞した後、劇場を出たその足で近くのカフェに入って、すぐ書いている。そのくらい、この映画には「何かを書きたい!」と思わせる魔法がある。
年齢も境遇も異なる3人の「さとこ」は、さまざまな出来事や出会いを経験しながら、少しずつ自分自身と向き合っていく。そして、それぞれが「自分の物語」を書き始める。
聡子が物語を書き始めるきっかけとなったのは、社会学習で鑑賞した歌舞伎の感想文を先生に褒められたことだ。鑑賞中はずっと寝ていたけれど、「歌舞伎を見ないで書いた子の中ではダントツだわ」と、創作能力(?)を認められた。
私は映画ライターを自称しはじめてから、もう5年ほどがたつ。正直、自分の文才は上の下くらいだろうと自負していたが、聡子が書いた「塩辛へのラブレター」には負けたと思った。「Chat GPTを上回る脅威が現れた……!」と思うほど、天才的な妄想暴走系少女だ。
取引先の相手と泥沼不倫を続ける35歳の沙都子は、ある日不倫をやめざるを得ない衝撃的な事件がきっかけで、恋に終止符を打つために自分の物語を書き始める。いざ、韓国ドラマのような運命的な出会いから書き始めても、思い出せないことや、これの何が良かったんだろうと思ったりもして……。
だけど、そんな彼女なりにも大切だった恋愛を失い、この大恋愛を物語にして昇華させようと意気込んだものの、書いているうちにあっけらかんと忘れていく様は、自分にも身に覚えがありすぎて、気づけば一番共感を寄せる人物になってしまった。
55歳の里子は、高校を卒業する三男へ最後の弁当作りを終えて、ようやく自分の時間ができた。そこで里子が再び向き合うのが、いつの間にか消え去っていた「作家になる」という夢。
里子は私の母と同年代で、母は子育てを終えた途端、異様にジグソーパズル(?)にハマり始めた。その熱中ぶりは、久しぶりに書くことの楽しさに没頭している里子と重なるものがある。子供みたいに打ち込む里子の姿に、息子が「え?(困惑)」と若干引いている姿も、私じゃん……と思った。
でも、こちらが思わず引いてしまうほど、母親が自分のためだけに夢中になっている姿を、私はどれだけ見てきただろう。自分の時間を取り戻したように何かに没頭する。その姿を見ていると、なんだか切ないような、いとおしいような気持ちになる。
新しいことを始める聡子。終わらせるために書く沙都子。そして、終わらせた夢を再び始める里子。誰にも気づかれないささいな出来事だけれど、どれも「さとこ」の人生にとって大きな出来事だ。
好きな子との妄想を書きつづる聡子のドキドキ、恋愛に終止符を打つために気持ちをしたためる沙都子のドキドキ、一度置いた筆を再び執る里子のドキドキ。「さとこ」たちの人生の時間軸はまるで違う。でも、「さとこ」たちはみんな、書くことで自分の気持ちに輪郭を与えていく。
それでも、言葉の海でもがきながら、自分の気持ちを自分の言葉で表現するなんて、これ以上小っ恥ずかしいことはない。できれば見ないふりをしていたかった感情まで、文字にした途端、目の前に現れてしまう。
聡子はこれから、初恋以外にもたくさんの感情を知るだろう。沙都子にも、不倫相手のいない人生が続いていく。里子だって、もう一度筆を執ったからといって、かつての夢がかなうとは限らない。
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