始まりは「ソ連崩壊を見るツアー」 ウクライナの素顔掘り起こす
ウクライナ名誉領事を務める神戸学院大教授の岡部芳彦さん(52)がウクライナやロシアと接点を持ったのは高校3年の冬、受験勉強のまっ最中の1992年1月だった。
前年にソ連が崩壊し、歴史教師から「世界史の大事件。関心を持つように」と促されていたところ、新聞広告で「ソ連崩壊を見るツアー」の募集があった。「行くしかない」と思い、受験を心配する父親を「受験は毎年あるが、ソ連崩壊は一度しかない」と説き伏せた。ツアー参加と浪人が決まった。
モスクワに着くと空港は停電し、マフィアと呼ばれたダークスーツの集団がたむろするなど混乱した様子だった。最後の訪問地は独立したばかりのウクライナ・キーウで、博物館では「モスクワより歴史ある街」と説明を受けた。市場でエプロン姿のおばさんは「300年、ロシアに支配され、やっと独立よ」と名物の「巣蜜」を記念にくれた。蜂蜜のさっぱりした甘みが印象を強くした。
大学在学中の97年にモスクワ大でロシア語を学ぶため、9カ月留学した時も経済的な混乱は続いていた。街を歩くと、給料が滞る警察官が「疑いがある」と連行をほのめかしながらビールを暗に要求。おごると解放された。身を守るため、「生のロシア語」が身についた。そんなロシアを安定させたプーチン大統領に一定の支持があるのは理解できなくもないと一時は思った。しかし、ウクライナ側からはまったく別の見え方がした。
ウクライナを深く知るきっかけとなったのは、国民的なルーツとされるコサック(武装騎馬民)に興味を持ったことだった。その情報を求め連絡していたウクライナ東部ドンバス地方のドネツク国立情報学人工知能大の学長から2009年に招待された。現地に赴くと、同大には「日本センター」があって、碁、将棋、折り紙など日本文化に親しむ催しが毎日のように行われていた。岡部さんは約300人の学生を前に日本との経済交流の可能性について講義した。これを皮切りに訪問は13年まで16回に及んだ。
ドネツクは鉱工業で栄えた産業都市。行き来した約4年間、地域の知識人らと親交を深めたが、「ロシア人が攻めてくる」という不穏な空気を感じること…
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