83歳の背中押した2年前のニュース 語り始めた「被爆の実相」
「原爆から逃げていた」。高松市松縄町の中村隆さん(83)は、1945年7月の高松空襲で家を失い、その約1カ月後、広島市で入市被爆した。中村さんは長く原爆の記憶を話してこなかったが、最近になり積極的に語るようになった。きっかけは2024年のあるニュースだった。
45年7月4日未明、高松市の上空に現れたB29爆撃機116機が市中心部を火の海に変えた。100分間あまりのうちに焼夷(しょうい)弾809トンなどが投下され、1359人が亡くなった。
現在の高松市番町に住んでいた中村さんの自宅付近にも火の手が上がった。10人きょうだいの末っ子の中村さんには、当時の記憶はない。母の背に背負われ、2番目の姉、7番目の兄と必死に逃げたと後に姉から聞いた。4人で神社の池につかり、朝まで過ごしたという。
自宅は焼け、住む場所を失った。しばらく親戚の家を頼ったが、広島で国鉄関係の仕事をしていた父が迎えに来てくれた。父の仕事を手伝っていた4番目の兄彰さんを含む6人で現在の広島市安芸区で暮らし始めた。
翌7日、爆心地付近の職場に出勤していた彰さんを家族総出で探しに行き、中村さんも入市被爆した。父は1週間近く彰さんを探し続けたが見つからず、誰のか分からない遺骨のかけらを二つ持ち帰ってきた。同9月に一家は高松に戻った。
中村さんは大学を卒業し東京都内で働いていた67年に被爆者健康手帳を取得した。「原爆被爆者なんだ」という気持ちがわいてきたが、手帳を取ったことは職場の人には言わなかった。
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