1945年の石油危機:「ひどい味」でも戦中戦後に大量出荷 国民救った"イバイチ"
その品種「茨城1号」、通称イバイチは戦中戦後に首都圏などへ大量に出荷され、食糧難に直面する多くの人々の空腹を満たした。増産に尽くした男性は「サツマイモの神様」と呼ばれる。
しかし当時を知る人たちが覚えているのは「まずかった」との思い出ばかり。戦後、消費者の「受配拒否」まで起きたという。いったい、どういうことか。
「この場所に、『神様』の住居と研究所があったんです」。那珂市の田園地帯で、農業協同組合新聞客員編集委員、先崎千尋さん(82)が道路脇の草地を指さした。
「神様」こと農学者の白土松吉(1881~1956年)は農家の困窮を憂い、耐干性に優れたサツマイモに着目。約30年かけて1937年、収量を倍増させる「千貫取り栽培法」を完成させた。
根元の2、3節を地上に出して植える「ブランコ植法」。苗を植える2週間前の施肥――。講演のほか農村を回って指導に取り組み、畑に泊まり込むことも。農家の増益策として付加価値の高い干し芋作りも推奨した。一方で身だしなみには無頓着だったという。
そんな「神様」が戦時中、独自の栽培法を改良しながら取り組んだのがイバイチの増産だった。「それまでの3倍の収量がある貴重な品種でした」と解説しつつ、先崎さんは付け足した。「おいしいはずが…
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