ギャラリー:夫殺しか、殉教者か 悲劇の女王メアリー・スチュアート 写真と画像16点
女王の死。ここに描かれているように、処刑の際、メアリー・スチュアートは、4人の男性の従者と2人の侍女を付き添わせてくれるよう強く要望した。アベル・ド・プジョルによる19世紀の油彩画。フランス、バランシエンヌ美術館所蔵。(RMN-GRAND PALAIS)
19世紀のフランス人画家によって描かれたメアリー・スチュアートの肖像画。作者名は不明。ロシア、ボロネジ地方美術館所蔵。(FINE ARTS IMAGES/ALBUM)
1424年にスコットランド王ジェームズ1世が建設を始めたリンリスゴー宮殿。1512年にジェームズ5世が、1542年にその娘のメアリー・スチュアートがここで誕生した。(ADOBE STOCK)
スコットランド王室の紋章。少なくとも13世紀から使用されていた。青い爪を持つ赤いライオンが立ち上がった姿が描かれている。(BRIDGEMAN/ACI) バロア朝の若き期待の星 フランスでメアリーは、中世騎士道の理想とルネサンスの人文主義文化が融合したバロア朝の一員となった。そこでラテン語やギリシャ語などの古典言語に加え、スペイン語やイタリア語を中心とした現代語も学んだ。13歳のときには、自らラテン語の演説を書き、ルーブル宮殿の廷臣の前で披露した。フランスで受けた人文主義教育とエラスムスの著作に影響され、女性が文学や教養に触れられるようにすべきだと訴えた。歌やダンス、狩猟をたしなみ、優雅に馬を乗りこなした。背が高く(約180センチメートル)ほっそりとした体つきで、赤毛に琥珀色の目をした美しい容姿も、メアリーの存在感を高めていた。
フランス国王アンリ2世の前で、ラテン語で演説するメアリー・スチュアート。1836年、ジロ・サン・テーブルによる油彩画。ベルサイユ宮殿所蔵。(GÉRARD BLOT/RMN-GRAND PALAIS)
エディンバラ城。三方を崖で囲まれた天然の要塞で、11世紀から17世紀まで、スコットランド王室の公邸として使用されていた。(AWL IMAGES)
ダーンリー卿殺害事件を取り巻く出来事を描いた絵。元の絵は事件後の16世紀に描かれたが、それを19世紀になって模写したもの。(SCALA, FLORENCE) 王配殺害事件 メアリー・スチュアートの2番目の夫だったダーンリー卿殺害直後に、事件の状況を描いたこの絵が作製された。殺害現場となったエディンバラのカトリック教会カーク・オ・フィールドは後に、プロテスタントによる宗教革命のあおりを受けて荒廃していく。1567年初頭、ダーンリーは教会の敷地内にある旧司祭長邸に滞在していた。2月10日未明、この建物が爆発によって破壊され、がれきの山と化した。火薬を詰めていた樽が爆発したとされているが、意図的に建物に爆薬が仕掛けられた可能性が高い。その後塀の反対側で、ダーンリーと召使のテイラーの死体が発見された。2人とも、爆発による傷は見当たらなかったため、寝室から逃げ出した後、近くで何者かによって絞殺されたと考えられている。 この絵には、テイラーの埋葬とダーンリーの遺体が運ばれる様子が描かれている。絵の左上に、ダーンリーとメアリーの幼い息子ジェームズがベッドから起き上がり、「主よ、我が訴えを裁き、復讐を与えたまえ」と叫ぶ姿がある。息子は後にスコットランド国王ジェームズ6世となり、さらにイングランド王位を継承し、ジェームズ1世となるが、事件当時はまだ生後8カ月弱だった。
メアリー・スチュアートの銀の宝石箱を模して、19世紀に作られた複製品。エディンバラのスコットランド国立博物館所蔵。(© NATIONAL MUSEUMS OF SCOTLAND) 宝石箱の手紙の謎 メアリーの2人目の夫ダーンリー卿殺害に関してイングランドで調査が行われた際、メアリーの関与を示唆する8通の手紙を証拠として提出したのは、他ならぬメアリーの異母兄であるマリ伯爵だった。手紙に署名はなかったが、メアリーが愛人のボスウェル伯に宛てて書いたもので、フランス国王フランソワ2世の紋章がある銀の宝石箱のなかから見つかったと、マリ伯は主張した。裁判官たちは、メアリーが手紙を書いたことを認めたが、メアリーはでっち上げだと主張した。マリ伯が手紙を捏造したと考える現代の歴史家も多く、証拠の真偽については現在も議論が続いている。マリ伯は当時、スコットランドの摂政であり、メアリーが権力の座に戻ることを阻止しようとしていた。元のフランス語の手紙は既に失われているが、その前に作成されたフランス語の写しと英語およびスコッツ語の翻訳が残っている。
処刑直前のメアリー・スチュアートの様子。フィリップ・ジャック・バン・ブリーによる19世紀の絵画。パリ、ルーブル美術館所蔵。(ADRIEN DIDIERJEAN/RMN-GRAND PALAIS)
ローマ教皇シクストゥス5世の肖像画。16世紀、ピエトロ・ファッケッティ作。バチカン美術館所蔵。(ALAMY/CORDON PRESS) 女王の最期の言葉 1586年11月23日、メアリー・スチュアートは死刑判決を知らされた。そして同じ日に、ローマ教皇シクストゥス5世に宛てて、カトリックへの揺るぎない信仰を改めて誓う手紙を書き、次のように締めくくった(手紙はその数日後に封印された)。「最期の別れの言葉として、神があなたを恵みのうちにお守りくださるようお祈りいたします。カトリック教会とあなたの迷える群れ、特に私が後に残すこの島の人々の幸福のために。彼らは、神の憐れみも父親のようなあなたの保護もなく、道から外れ、惑わされているのです」
左ページは、メアリー・スチュアートが教皇シクストゥス5世に宛ててフランス語で書いた手紙の締めくくり。バチカン使徒文書館所蔵。(ALAMY/CORDON PRESS)
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